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3月24日の夜遅く、叔母が亡くなりました。
経緯はコチラ→ 1回目 2回目 3回目

昨年11月の半ばに私の父がドナーとなり骨髄移植をしました。
経過がどうなるかは3ヶ月くらいしないとわからない、と言われていました。
そして年明けて少しした頃。
叔母の体調が良くないこと。
父から移植した骨髄がもうほとんど叔母に残っていないことを聞きました。
父はもう一度移植をするなら協力する、と言いましたが
叔母にはもう一度移植を受けるだけの体力がもう、残っていませんでした。
1月の終わりには叔母本人にも告知がされました。
余命は1ヶ月から3ヶ月でしょう、と。
2月に入ってからは医師にもいつ何があってもおかしくない、と言われ
会わせたい人には会わせてあげて、と言われました。
私もお見舞いに行きましたが叔母の気持ちを考えると
どうしたらいいのか分からず、ただただ従姉妹と他愛のない話をするばかりでした。
苦しい闘病生活だったはずですが
叔母はそれでも最期まで弱音はほとんど吐かずにがんばりました。
そして息子に看取られ眠るように亡くなったそうです。
57歳でした。
病室から見える桜はまだ殆ど咲いていませんでした。
今年の桜、見れるかしら?と言っていたそうです。
今週末、桜は満開。
写真、撮ってきたよ。
経緯はコチラ→ 1回目 2回目 3回目
昨年11月の半ばに私の父がドナーとなり骨髄移植をしました。
経過がどうなるかは3ヶ月くらいしないとわからない、と言われていました。
そして年明けて少しした頃。
叔母の体調が良くないこと。
父から移植した骨髄がもうほとんど叔母に残っていないことを聞きました。
父はもう一度移植をするなら協力する、と言いましたが
叔母にはもう一度移植を受けるだけの体力がもう、残っていませんでした。
1月の終わりには叔母本人にも告知がされました。
余命は1ヶ月から3ヶ月でしょう、と。
2月に入ってからは医師にもいつ何があってもおかしくない、と言われ
会わせたい人には会わせてあげて、と言われました。
私もお見舞いに行きましたが叔母の気持ちを考えると
どうしたらいいのか分からず、ただただ従姉妹と他愛のない話をするばかりでした。
苦しい闘病生活だったはずですが
叔母はそれでも最期まで弱音はほとんど吐かずにがんばりました。
そして息子に看取られ眠るように亡くなったそうです。
57歳でした。
病室から見える桜はまだ殆ど咲いていませんでした。
今年の桜、見れるかしら?と言っていたそうです。
今週末、桜は満開。
写真、撮ってきたよ。
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